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地震、台風、ときたら火事

地震では目立った被害はなかったのですが、
台風20号では予想外の被害に遭ってしましました。

風力も音も猛烈を通り越してすごかったし、地震の時より家そのものが揺れました。
これはエラいことになったなぁ、、、改修仕立てなのに早くも倒壊するのかな、などとビビってしまいました。
しかし案外早く台風は去って、風が収まってから窓の外を除いてびっくり!!

なんと!!!

台風1

お隣の屋根に設置してあった物干し台、それも鉄製で屋根付きのものが落下してきて、物凄い音響で母の部屋の壁から窓枠に掛けてぶつかったのでした。
屋根の波板は隙間に挟まっています。



夕方、食事の用意をしていたら、お隣の奥様が

「多分気付いてないと思うけれど、オタクのベランダのサンルーフが割れていますよ」
と、知らせてくださったのです。

昔の物干しスペースで、10ミリくらいの厚みの板ガラスが12枚、一気に落ちていました。

台風2

緑色のはお隣のマンション住人の屋上菜園の残骸です。
多分植木鉢か何かが飛んできたのだと思います。

このダブルパンチを見舞われて、私は地震以上のトラウマを抱えてしまいました。

次の21号では窓の目張りに躍起となり、疲れ果てて母の部屋に食料飲料を持込み、篭城しましたが、台風はさしたる程の事もなく、通り過ぎてしまったのです。
それでも24号が去るまで、目張りを外す事は出来ませんでした。
その後も山あり、谷あり、振り返ると平成30年は波乱の一年でした。

実はこの残骸は今もベランダにそのまま、解体業者の手配がつかないそうです。
そしてオリンピック会場建設に建材がいってしまい、全てが不足して回ってこないとも。
我が家の損壊は全く手つかずで今年を終わろうとしています。

それでも良いから、後ひと月、何事もなく平凡に終わって欲しいものです。


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地震、豪雨、3年前の記憶が蘇る

地震が起きる一月前、外壁のレンガが一個剥がれ落ちているのを発見しました。
早速検査してもらったところ、外壁全体が浮き上がっていて、震度4クラスが来たら
一気にドサっと崩れるかも知れないという結果が出ました。

昨年改修工事をする時に外壁の貼替えも検討したのですが、
まだ五年十年は大丈夫、その間にうちの状況も変化するだろうから、という理由で
外壁は傷の補修くらいで、後はそのままにしておいたのです。

しかしこの冬の異常寒波で凍結など無縁の大阪市内で我が家は4~5回水道が
凍結し、溶けるのに4,5日には掛かるもので、その間お風呂に入れないという事態が
発生していたのです!

一回二年分の劣化、4回として8年分の劣化=耐久年数消化済

今はとにかく安全第一でレンガ斫りだけでも先にしないとと言う事になり、足場、解体
業者さんを手配しようにも大阪中にウチのような件が発生しているらしく、
手配がつくまでの10日間はヒヤヒヤし通しでした。

やっと足場を組んでシートで外壁を覆って、解体業者さんがレンガを斫り、安全には
なったけれど、一部鉄骨むき出し状態で見栄えは最高に悪い時に震度6が来たのです。

良かったぁー!!って怖いより、そっちの方が気持ちを占めていました。
丁度通勤や通学の時間帯でしたし、もしウチのレンガが落ちて怪我をさせていたらと
思うとブルブル、、、

その時点ではこれは余震で本格的なのがこの後に来る、と思っていたので、
日頃用意している避難用カート(オバちゃん使用の買い物カート)を引きずり、
這い這いしながら母の部屋に行きました。
母を連れて避難はできないので、母の部屋に篭城です。

しかし待っても本格的な揺れは来なかった。
直下型なんだなぁ~って少し安心して他の部屋の状況を調べたところ、
何の被害もなく、あれは夢だったんじゃないだろうか、と思える程でした。

その後大阪市内北部より茨木、高槻の方が被害甚大と分かり、その方面の
友人知人にラインしてみたところ、
家具が倒れた、食器が割れた、部屋中グチャグチャ、ガスが止まった、水道でない
電話通じない、と神戸地震の時のような被害が出ていました。
この辺りは神戸地震の時、あまり取り上げられなかったけれど、結構被害が出た地域です。

そしてその後に起きた甚大な豪雨。
その豪雨で雨漏りしたのです。
3年前の悪夢が蘇った。。。。。ショックでした。

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漏れている箇所は3階ベランダの傘木にヒビが入っていた、ものと見られます。


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これ地震の被害?

えらいご無沙汰でした^^;

5月2日にショートステイ先を追い出された母娘、、、ちょっと大袈裟かな(笑)

4月末に近い頃、突然月末で退所してくれと言われました。
約束はGW明けのはずだったんですが、出てくれの一点張りです。
結局2日に退所したのですが、余りの身勝手さに怒るより驚きの方が強かったです。

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脳梗塞の緊急入院、階段昇降機の取付など予定外の出来事で体調が狂いっ放し。
なのに前より手が掛かる状態で戻った母。
連休明けまでヘルパーさんの都合がつかず、穴開き状態の介護体制の日々では
ベッド上でオムツ交換することが私には難関でしたが、
なんとかこなして連休明けを迎えました。

介護の合間にうたた寝する、それだけで日が進んでしまい、自宅に戻ってから今日で二十日目です。

それが先週頃から急に母の動きが良くなり始め、排泄はトイレでできるようになり、オムツ脱却!
但しリハビリパンツは着用です。
ミキサー食から区分2か3、舌で噛める、たやすく噛める段階の食事ができるようになったのです。
昨日などキーマカレーを食べた程です。
これでハンバーグを食べられるようになったら、どれだけ本人が喜ぶでしょう。
さすがお肉は挽肉しか無理でした。

食のバラエティが広がると更に回復の度合いが進みます。
人間、喰う寝る出すとよく言いますが、本当ですね。

階段リフト取付工事をしてくれたお兄さんです。26歳なんだとか、
テキパキと仕事も素早くキレイな仕上げで満足しています。
画像では座面、足置き板、肘掛を収納していますので分かりにくいかも知れませんが
商品名「ショースケ」くんはとても優秀なサポートマンです。
これがあるからディサービスに通えています。







母、退院、ショートステイ

4月11日、無事に退院した母。
入院慣れしてきたせいか、荷物もコンパクトに収まりました。

IMG_5153北野

直行で家に帰らず、昨年ショートステイした自宅から徒歩1分のホームに滞在です。
階段昇降機取り付けが退院に間に合わなかったのと、
私の疲労回復も兼ねての事なのですが、
久々に行ったホームの介護の変貌には驚いた!
以前は良くも悪くもお年寄りに関わって寄り添っていたのに
この度は距離を置いているというか空気が薄いというか
それなりに人がいるのにシーンと静かです。

母が昼の間、寂しくないようにと思ってここにしたのに
これじゃまるで格安の介護施設のようだと思いました。
ま、建物と設備だけは立派ですけれど

事前の説明の時、ヘルパーさん直に頼まないで職員になんでも言って欲しいと
言われたので職員さんに要望を言っても、現場では「知らなかった、聞いていない」と
言って要望していることができていなくてもヘルパーさんたちも責任はアチラへと
言わんばかりにシラケています。

じゃあヘルパーさんたちが手抜きなのかと言うとそうでもなく、
お年寄りに関わってきたそうな素振りが見えます。
いろいろやってあげたいことはあるけれど、止められているから手が出せない、
出すと管理側に睨まれるという空気です。

もう、へぇ~、この変貌は何が原因、何があったの?!って思いました。

私が母の食事介助などをしていると、同席のオバアちゃんたちが興奮し始め、
家族を呼んでとか、家に帰るとか言いだします。
昨年までだったら、ヘルパーさんが手空きの時間はお年寄りに関わって、
話し相手になったり、カラオケをしたり、本を読んだりしてあげているので
愛情が満たされていたのか、私と母には割に無関心でした。
が、システムが変わり、放りっぱなしにして置かれる時間が長いので
皆さんスキンシップに飢えているのだなと思いました。
本当にこれが自分の親だったらと思うと哀しくなります。

それでだと思いますが、ここ数日は他の方々の食事が終わってからラウンジに
案内されています。
これっておかしいですよね!?
ホームのあり方を改善するのではなく、利用者にしわ寄せさせるんですよ!

ここは高額なホームとして近所の住民には認識されているのですが、
このレベルの介護じゃなぁ、、、
入居も視野に入れていましたが、すっかりその気は失せました。

来週、階段リフト取付工事が済んで安全性をしっかり確認できたら
直ぐに自宅に戻したいと思います。



母、入院!

3月11日、午前11時頃、母の右腕が麻痺していることに気づきました。
そのうち肩も落ちてきて、目が鼻の方に寄って、声をかけても反応しなくなりました。
素人でも脳梗塞とわかりました。

kitano.jpg

私は自宅看取りを考えているので、救急車を呼ぶのは本当に治療効果があると
確信できるときにしたいと思っているので、これはどのタイプなのかな、と観察した
けれど、判断がつかなくて24時間体制のクリニックの先生に電話しました。
先生も自宅看取りの考えなので、私と同じ方向で判断してくれます。

脳梗塞の感触じがすると言うと先生も同じ意見で、発作が起きた時から見ているの
で経過時間からは治療効果があると判断され、救急搬送してもらいました。

初めは昨年末に入院したS生会N津病院に連絡したのですが、アイニク脳外科の
オンコールが無い日でした。
2番目に連絡したのは私が行きたくないK野病院でした。
ここは認知症の高齢者には冷たいので避けたかったのですが、向こうで受け入れると
言うので搬送されたわけです。

しかしさすがは脳外科、眼科とは大違いでSCUの看護師さんたちの意識の高いこと
には嬉しい驚きがありましたた。

「ここに入院している間にお体を休めてください」と労られた時には(┯_┯) ウルルル
お陰で安らかな気持ちで病室を後にし帰宅できました。

しかし1週間の治療後、脳外科一般病棟に移った途端、5年前の悪夢が蘇りました。

「眼科と似た空気!」

ナースステーションの横の病室なので会話がまる聞こえす。
本当に仕事してるの?何しにここへ来てるの?って聞きに行きたいくらいアホな会
話を若い先生たちとしています。
合コン会場とでも思っているのかな~
担当の看護師も看護師長の紹介もされませんでした。

そして話があると言われて応じたら、早くも退院の件。
いろいろ聞き出して、あれこれ僭越なで浅はかな口出しをし、全く時間の無駄としか
思えないカンファレンスと称するものに都合3度付き合わされました。
お互い情報共有していたら聞く必要のないことばかりです。

いついつまでに退院と決めてくれ、と何度も言っているのにホントうざいなぁ。

2週間過ぎたら診療報酬がグンと下がるので追い出したいと言うのが本音、
それも病院側の指図と言うより患者側から自主的にと言う書類を制作したいためと
思えてなりません。

被害妄想と思われそうですけれど、私は早く退院させたいタイプの患者家族なのです。
いつまでも病院のお世話になりたいタイプの患者家族ではないのに、それを会話から
見抜くことも出来ず、不快な意見ばかり言われると天邪鬼な気質がムクムクと湧き上
がり、そんなら期待に応えて、限界までいてあげたくなるんです!
看護レベルの低い病院なんで、母のためにもそんなアホはしませんが(笑)

これから帰宅したら、更に介護度が高まりますが、股関節が悲鳴を上げている今、
自宅なのか、近所のホームなのか、大いに悩んでいます。

今日はホームの施設長さんとブッチャケ面談することになっています。